(1)海外勤務者の健康問題
1)自然環境の変化による健康問題
熱帯や亜熱帯地域では,高温多湿の気候により熱疲労や脱水を起こすことが多くなります。湿度の高い気候では、汗疹や白癬症などの皮膚疾患もしばしばみられます。乾燥した気候では,上気道炎やアレルギー性鼻炎等の呼吸器疾患が頻発します。近年は、途上国の都市部で大気汚染が深刻化しており、これも呼吸器疾患が増加する一因になっています。
2)衛生環境の変化による健康問題
海外でも途上国では、衛生状態の影響で感染症が日常的に流行しています。
飲食物から経口感染する旅行者下痢症、A型肝炎は、途上国ではいずれの地域でも高いリスクになります。経口感染症の予防方法は飲食物への注意が基本で、ミネラルウオーターや煮沸した水を飲用すること、食品は熱したものを摂取することなどの注意をします。
蚊が媒介する感染症としてはデング熱とマラリアが重要です。デング熱は東南アジアや中南米で流行が発生しており、日本からの渡航者の感染例も数多く報告されています。マラリアの流行は、アジアや中南米では感染リスクが低くなっていますが、熱帯アフリカでは都市部を含む国内全域に流行がみられます。デング熱やマラリアの予防には、昆虫忌避剤を塗布するなど蚊の吸血を防ぐ対策をとります。
動物から感染する狂犬病も海外では注意すべき感染症です。海外の流行地域ではイヌなどの動物に安易に近寄らない注意をするとともに、動物に咬まれた場合は、狂犬病の発病を予防するためのワクチン接種が必要です。
3)ライフスタイルの変化による健康問題
海外の生活では生活習慣病に罹患する頻度が高くなります。これは,海外での食事が一般に高カロリー,高脂肪であることや,海外での生活が車社会であるため,運動不足に陥ってしまうことに由来します。さらに、生活習慣病を治療中のケースでは,治療が中断されコントロール不良となることも少なくありません。
また、海外の生活ではストレスも多く、それにうまく対処できないと、メンタルヘルスの障害がおこりやすくなります。海外では身近に相談できる友人や同僚が少ないことも、メンタル障害の原因にあげられます。
(2)海外駐在員の健康管理対策
海外駐在員の健康問題に対処するためには、派遣の時期に応じた健康管理体制を構築すると効果的です。
派遣前
派遣可否判定
健康診断(法定)
・継続医療者の対応
健康教育
・情報提供、生活指導
・個別相談
予防接種
携帯医薬品の準備
派遣中
派遣中健診と結果判定
医療相談
医療機関受診支援
帰国後
健康診断(法定)
輸入感染症対策
帰国後の適応
・駐在員の選定
駐在員の選定にあたっては、定期健康診断の結果などを参考に、心身ともに健康な者を選ぶのが原則です。もし慢性疾患をかかえる者が候補になった場合は、その疾患の重症度や、現地で国内と同様の医療が受けられるか否かが、派遣可否の判断材料になります。
・健康診断
派遣前の健康診断は労働安全衛生規則に定める項目に準拠して行います。この法律では,業務形態(駐在,出張)にかかわらず,海外に6カ月以上滞在する者への健康診断の実施を事業主に義務づけています。中高年の駐在員の場合は人間ドック的な検査項目も追加し,生活習慣病や悪性腫瘍の早期発見に努めることが大切です。
・情報提供
派遣前には滞在する地域の健康問題や医療機関の情報などを提供しておくようにします。海外の医療情報はインターネットから入手できます(表1)。
・予防接種
感染症の予防のためには,派遣前の予防接種が重要な対策です。接種するワクチンは、滞在地域、滞在期間、滞在中のライフスタイルなどの情報をもとに選択します。詳細については表2をご参照ください。なお、途上国に滞在する場合は,複数のワクチン接種を行うことが多く,派遣の1か月前までには接種を開始することが必要です。
・駐在員の医療機関受診
海外に長期滞在する場合は「かかりつけ医」を持つことが推奨されています。病気になった時は、かかりつけ医を受診し、必要に応じて「専門医」に紹介してもらいます。
海外で医療を受けるためには,医療保険への加入も欠かせないものです。先進国では現地の公営か民営保険,途上国では海外旅行保険で支払うのが一般的です。また、日本の健康保険では、海外で支払った医療費の一部を還付してくれる制度を設けています。
(3)海外出張者の健康管理
最近は海外出張が日常的な行動になっているため、日頃から社員への健康教育の一環として、旅行者下痢症や時差ボケなど海外出張中に多い健康問題に関する情報を提供しておくことが大切です。また、生活習慣病を抱えている社員については、定期健康診断の事後措置として、海外出張する際の注意点を指導しておくようにしましょう。さらに、途上国への出張が多い社員には、A型肝炎などリスクの高い感染症への予防接種を実施しておくことを推奨します。
出張中に現地の医療機関を受診する場合は、海外旅行保険のコールセンターに連絡し、滞在先の提携病院の紹介を受ける方法が推奨されています。こうした目的だけでなく、現地で医療費を支払う手段としても、出張中は海外旅行保険に加入しておくことが必須です。
(4)海外勤務者の健康管理における今後の課題と展望
最近の海外勤務者の健康管理対策では専門的知識が要求されることが多く、中小企業だけでなく大企業であっても適切な対応が困難な状況になっています。さらに、海外出張者の対策については、企業規模にかかわらず実施されておらず、外部組織からのサポートが必要な状況にあります。
こうした状況を改善させるため、「海外医療総合研究所」では海外医療の専門家が、海外勤務者の健康管理に関する企業へのサポートを行っています。
表1.インターネット上の海外医療情報サイト
サイト名 | URL | 内容 |
---|---|---|
厚生労働省検疫所 | http://www.forth.go.jp | 海外感染症流行情報、推奨予防接種情報 国内のトラベルクリニック情報 |
外務省海外安全ホームページ | https://www.anzen.mofa.go.jp/kaian_search/index.html | 海外感染症流行情報 |
外務省 世界の医療事情 | http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/index.html | 在外公館に勤務する医務官が現地で調査した医療機関等の医療情報 |
東京医科大学病院 渡航者医療センター | http://hospinfo.tokyo-med.ac.jp/shinryo/tokou/ | 海外感染症流行情報 |
日本小児科医会国際委員会 | https://www.jpa-web.org/about/organization_chart/international_committee.html | 国別の小児予防接種情報 |
日本渡航医学会 | https://plaza.umin.ac.jp/jstah/index2.html | 国内のトラベルクリニック情報 |
海外渡航と病気 | http://www.tra-dis.org/ | 海外渡航中の病気の解説 教育資材 |
表2.海外勤務者(成人)に推奨する予防接種
ワクチン名 | 滞在期間 短期* | 滞在期間 長期* | 接種の対象となる 主な滞在地域 | とくに推奨するケース |
---|---|---|---|---|
A型肝炎 | 〇 | 〇 | 途上国全域 | 衛生状態の悪い環境に滞在する者 |
黄熱 | △ | 〇 | 熱帯アフリカ 南米 | 入国時に接種証明の提出を求める国に滞在する者 (詳細は厚生労働省検疫所のホームページを参照) |
破傷風 | △ | 〇 | 全世界 | 外傷を受けやすい者 |
狂犬病 | △ | 〇 | 途上国全域 | 動物咬傷後の接種が受けにくい地域に滞在する者 |
腸チフス(国内未承認) | △ | △ | 途上国全域 | 南アジア(インドなど)に滞在する者 |
B型肝炎 | 〇 | 途上国全域 | 医療関係の仕事で滞在する者 | |
日本脳炎 | △ | 中国 東南・南アジア | 農村部に滞在する者 (媒介する蚊に吸血されやすい) | |
ポリオ | △ | 南アジア アフリカ | 1975〜1977年生まれの者 (この世代は小児期のワクチン効果が弱いため) | |
髄膜炎菌 | △ | 西アフリカ | 乾季に滞在する者 (乾季は大流行がおきるため) | |
ダニ媒介脳炎(国内未承認) | △ | ロシア、東欧、中欧 | 野外活動する機会の多い者 (媒介するマダニに吸血されやすい) | |
麻疹 | △ | △ | 途上国全域 | 1970~1990年生まれの者 (この世代は小児期のワクチン効果が弱いため) |
*〇:推奨、△:状況により推奨
**短期:1か月未満、長期:1カ月以上